火葬、曇り時々雨




 椅子に座りながら水の滴る窓を見やる。
 私は雨が嫌いだ。陰鬱な雨の記憶が私を苛む。
「そういえば今日だったか、アイツの命日は」
 誰に言うでもなく呟く。
 九条と詩崎は二人揃って何処へやら外出中。今日は私一人店番だ。ま、たまには真面目に仕
事をするのも悪くない。
 それとも、これもお前が掛けた人払いか?いいさ、どうせ客など来やしない。今日はお前と
昔話に花を咲かせるとしようか。







 都心から離れた郊外にひっそりと佇む洋館。表向きは個人の邸宅に見えるが、その実態は魔
術関連の書物を保管するライブラリ。
 各国にはこうしたライブラリが必ず一つはあり、そこには私と同じような同業者がふらりと
訪れては必要な情報を集めて去っていく。
 因みに保管されている書物は一切持ち出し不可。禁を破れば即座に処刑人が派兵され、持ち
出された書の回収と、持ち出した魔術師の抹殺を施行する。

「おい、火色綾。聞いているのか?」
「聞いてない」
 広大な地下書庫の一角。私の隣で広辞苑並みの厚さを持つ本を開いて私に向かい力説してい
る男。武漢のような体型とは似つかないカジュアルな格好、顔立ちは整っていて端整とも言え
なくもない。
「五月蝿い、その話は何度も聞いた。大体お前の話は一々細かくてだな、ううむ…耳にイカが
出来そうだよ」
「今の物言いは聞き捨てならんぞ火色綾。そして、それを言うなら耳にタコが出来そう、だ」
 ギャグが通じない上に、同い年とは思えないほど昔染みたというかセリフ染みた言葉遣いを
する。
「私の理論が正しければ、この手順と作法を以って神獣を召還出来る。貴様も真理に近づきた
いとは思わないのか?」
 まったく、とキッパリ突っぱねる。事実、本当に真理なんてものには興味が無い。
 嫌いな理由、召還ってのは召還する人間の強さに関係なく、必要な物を揃えて然るべき時に
然るべき手順を踏めば、たいていの魔術師には可能なことだ。
 術者がどんなに弱くとも、召還したモノが強ければそれだけで相手を蹂躙することが出来る、
そんなの全く面白くない。
「火色綾、表へ出ろ。貴様の自身の力に対する驕り高ぶりを粛正する」
「またやるの…?」

 この男、八代宗一郎は私の大学時代からの同級生。どんな縁が私とコイツを引き合わせたの
か。
 普通、魔術師同士はその存在を出来る限り潜めるため、互いに干渉しないよう避け合う筈な
んだが、八代宗一郎は事あるごとに私に絡み、決闘だの粛正だのといって喧嘩をふっかけてく
る。因みに一度として負けたことはない。
「何度やっても同じだよ、アンタは確かに腕はいいけど私のそれには及ばない。この私の言葉
を驕りと取るならばそれは間違い、これは驕りでも過信でもなく確信。経験と勘による第一分
析」
「そうした態度や言そのものを驕り、過信、更には慢心と言う」
 頑として認めようとしない。そう、コイツは頑固なのだ、こと勝負事に関しては特に。
 やれやれ、やるしかないか…。

「さぁ勝負だ、上へいこう」

 私と宗一郎は、良く言えば友人のような関係だった。
 何かにつけて因縁をつけては手合わせをし、力をぶつけ合う。それは単純な殺し合いではな
く互いの力量を測る名目に加え、噛み合わぬ意見を通す為の、そう──


 所謂、喧嘩である。







 火色綾、やはり。
 彼女と戦う度に判る。あの女はより真理に近いところにいる。他の有象無象の魔術師共とは
一線を画す大きな存在。
 だが奴は真理や強大な力である神獣には全く興味を示さない。その才や力が在りながら手を
伸ばそうとしない。驕りや過信ではなく、本当に心から興味が無いのだ。
 あの邪念無き純粋な力はとても素晴らしい。幾度も手合わせをし、その度に敗北を重ねたが、
どこか清々しさすら感じた。
 魔術師とは常に強くあろうとするものだと私は考える。より強く、より高いところへ、他者
を蹴落とし薙ぎ払いながら、ただひたすら上へ向かう。少なくとも私はそうやって生きてきた。

 私にとって火色綾は初めて覚えた敗北であり、立ち塞がる、越えるべき壁なのだ。


 夜も更けた頃、私はとある墓地を訪れた。
 薄暗い闇を照らすのは、手にした百円ライターの灯り。
 ある墓石の前で歩を止める。数ある墓石の中でも一際みすぼらしいそれには、『エディ・神
里、ここに眠る』と彫ってある。
 右腕に力を込め、おもむろに墓石を押すとズルズルとゆっくり後退した。足元に現れたのは
地下へ通じる階段。先は見えず、深淵なる闇がぽっかりと口を開けている。

「ふむ、どうやら先客がいるようだ」

 足を踏み入れる。
 ライターの灯りで照らしても足元すら見えない。灯りが届いていないのではない、照らして
いても見えないようになっている。
「ルーンによる呪術か、小賢しい真似を」
 墓石の裏に目的のものを見つけ、懐から取り出したナイフを血糊で書かれた文字に突き立て
ると、文字は音も無く消滅した。
 闇を払い、灯りによって照らされた通路は大の男が二人やっと通れるくらいのもので、張り
巡らされた石の壁は今にも崩れ落ちそうな面持ちである。
 一本道をひたすらに突き進むと、一転して広い空間に出た。しかしその一歩はあまりにも迂
闊だったと言える。
 出入り口が一つしかない場合、篭城戦や待ち伏せの基本セオリーとして罠を張るのは定石。
踏み出した足が地に着いた瞬間、それは発動した。
 部屋の対角線状に張られた三角形の陣が、赤く光を放つ。

 眼前に現れたのは大よそ自分の三倍はあろうかという大きさの凝縮された赤。
 人に近い形をしたそれは、巨躯でありながら女性形として理想的で秀麗なラインを描く。長
い髪をなびかせ、突き刺すような視線でこちらを見る。
 目が合ったのは一瞬、燃え盛る球体がこちら目掛けて襲い来る。ざっと数えて其の数、五。
 俺を囲むように収束していき、触れる直前、一斉に爆ぜた。
 巻き起こる爆発を遠巻きに見守る一人の女。



          「三流の仕事だな、魔術師」






「!?」
 炎がまるで砂のように流れ、掻き消える。その中に立っている無傷の男。
 黒いロングコートを羽織り、その下には大よそ似つかわしくない長袖のTシャツに紺色の
ジーンズというカジュアルな洋装。

 在り得ない。

 直撃だった筈、魔人[イフリータ]も反応していない。当たったことは間違いない。
「何を驚いた顔をしている? 直撃したことは事実。だがそれが私に効かなかったことも事実。
ただそれだけのことだ」
 男は嗤いながら言う。
「この程度の炎、あやつの其れに比べれば去(い)なすことなど容易い」
 手を抜いて勝てる相手ではない。思考が切り替え次手を打つ。
 魔人は再び火球を繰り出す。私は後方へ下がり、障壁を形成する。この部屋の広さでは召還
は一体で精一杯。魔人を盾にルーンによる呪詛を試みるが、どうもおかしい。障壁も発動しな
い。何故?
 ……… 成るほど、先手を打たれたのね。
「墓石に張られていた結界を見た時点で、相手がルーンを使う魔術師と判れば戦略は自ずと見
えてくる。こちらが先手を打っただけのこと」
 どうする。この場は退くしか、いや、でもあともう少しでアレが手に入る。だがあの男を止
める手段が、無い。
「その魔導書は貴様には過ぎた玩具だ。無駄な殺生は好まん、大人しく身を引けば命までは取
らぬ」
「ッ…! 行け!」

 呟いたのは男、聴こえたのは呪文のような嘲笑。
 
 魔人は両の手に炎の剣を携え猛り狂う。
 殺せ!と命を下すと男めがけて左手に持つ剣を投擲した。
 その炎剣を男は避けようともしない。そこに立ち、ただ真っ直ぐに炎を見据え、

 何も持っていない右腕で切り裂いた。

 炎剣は切っ先から真っ二つに分かれ、爆ぜる。だが終わらない。投げた炎剣の後を追うよう
に二本目の剣が迫る。
 一本目と二本目のインターバルはほんの僅か。人ならぬ者にこそ成せる異形の業。だが、

 気が付けば男は何事も無かったかのようにその場に毅然として立っていた。そう、何事も無
かったかのように。

「もう一度言うぞ、魔術師。コイツを引っ込めて此処から去れ、これが最後の警告だ。二の句
は無い」

 勝てない、圧倒的過ぎる。魔術師としての力量も経験も、全てにおいてあちらが上手。私は、
夢を諦める以外に自分の身を守る術が無かった。

「失せろ」

 語彙を強めて発せられた明確な言葉。それに呼応するようにして私は全ての術を解除し、用
意しておいた闇の霧を発動させる。
 視界を遮る絶対なる闇の中を行くも、全てが見透かされているようなこの悪寒。私は負けた
のだ、完膚無きまでに。






アラビアの精霊[イフリータ]か。珍しいモノを従えているな、あの女。だが、あの魔導書は私の友人にこ
そ相応しい」

 地下を後にすると、墓石を元に戻し再び人払いの結界を張る。今度は破られないように、よ
り念入りに。
「結界を張っていて尚、邪縁を呼び込むか。あながち贋作とも言えぬかもしれぬな」








 殺しが起きたと一報を受けたのは、まだ日も昇り切らない明け方だった。


 私は重い瞼が閉じようとするのを必死に堪えつつ、電話の受話器を持ち上げる。
 こんな朝っぱらから一体誰よ、お店は十時からって相場は決まっ…
『あ…綾?大変なの…わたし、わた…し』
 電話の相手は私の数少ない近しい友人、北条記理子。だが様子がおかしい、今にも泣き出し
そうな震える声色は異常を察するには十分だった。

「わかった、直ぐ行く。記理子はそこで待ってて、動いちゃダメよ」
『…ううん…私、犯人を追う。見失ったら手掛かりは一切無いもの……──ス…あいつ…絶対
に…!』
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 記理子が張った結を無理矢理こじ破って侵入出来るような使
い手はこの辺には居やしない。犯人は私が追うから記理子はそこで、って…最悪…」
 ツーツーツー。聴こえてくる規則正しい発信音。
「"殺す"、だなんて。普段はそんなこという子じゃないのに……あんの馬鹿」
 黒いコートを羽織り、店を出る。

 記理子の話では、ふと妙な胸騒ぎがして隣の寝室を覗くと、変わり果てた両親の姿があった
そうだ。遺体の傍らに立っていたのはガタイの良い男。黒いコートを羽織っていて、その手は
血に塗れていた。
 黒いコート、ね。相手は本気か。魔術師が礼装を纏うのは主に『仕事』をする時だけ。常日
頃から『魔術師らしい格好』をすることは愚者の所為とされる。
 ちっ、だがどうしたものかね。それ程の使い手なら何故私の結界に掛からなかった? この
街のここら一帯には探知を掛けてあるから一歩でも魔術師が踏み入れば気付かない筈は、

「……ルーンで上書きされてやがる。ご丁寧に隠蔽まで、抜かりないな」
 私が張った結の印が破壊され、別の札に掏り返られていた。




 記理子が結で追い込むと指定した場所に辿り着く。

「遅かったな、火色綾」

 返り血を浴びた黒衣の礼装をなびかせ、私に背を向けたまま男は言う。
「まさかアンタだったとはね、宗一郎。何の為にこんな事するのよ。殺される理由も、殺さな
きゃならない理由も無いでしょ」
「理由、不…魔術師とは元来殺し合うものだろう。互いの全力を以って優劣を決し、敗者を蹴
落とし血肉とし、目的の為に業を重ねる」
「フザけるんじゃないよ、記理子の両親は魔術師じゃない」
「確かに彼らに殺される理由は無い。だが、殺す理由は有った。貴様だ、火色綾」
 宗一郎は振り返り、私を射抜くような視線で冒す。そこには以前のような、殺伐としていな
がらどこか奇妙な穏やかさを秘めた面持ちは無い。
「友人として、好敵手として私は貴様を気に入っていた。だが、貴様は強大な力を、選ばれた
素質を持っていながらそれを活かそうとしない。貴様が上を目指すというのであれば私は我が
身を省みず助力するつもりだった。
 友人としての火色綾は私を愉しませ、魔術師としての火色綾は私を苦しめ続けた。
 所詮は私とて一介の魔術師に過ぎん。拮抗する現状を打破すべく行動を起こすことを決意し
た。北条記理子の両親を殺しただけではいささか足りぬと見た。だから貴様に此れを送ろう」

 ──!!!!!!

 ━血─肉─━━心━臓、脳────漿

 もはや人間と呼べぬ形。終わりの形。まだ温かさを残すその残骸。突き付けられた紛れも無
い友人の死に体。何をどうすればこのような形に成り果てるのか。

 嗚咽。

「初めてではなかろうに、近しい友人の姿とあっては正常を保てぬか」

 何故、宗一郎は笑っていられる?
 何故、宗一郎は嗤っていられる?
 何故、宗一郎は嘲笑っていられる?

 これが魔術師の本質?

 『血肉を糧とし血路開き、己が真理を求めんと世を這う。他者を蹴落とし、救いの手を引き
ちぎる。血と罪に塗れた道を往く者也』

 ある本に書かれていた一説、私はそんなもんクソ食らえだと一蹴した。善悪の是非とかそう
いうモンじゃなく、単純に面白いと思わなかった。興味をそそらなかった。ただそれだけのこ
と。


 顔を上げ、宗一郎を睨む。
 最も単純で、原始的。胸の内に渦巻く怒りの感情。
「そうだ、その眼だ。やっと貴様も『魔術師』の眼を取り戻したか、嬉しいぞ火色綾!」
 飛ぶ── 目にも留まらぬ早業、私の懐まで瞬時に距離を詰め、右腕から繰り出される斬撃。
その手に武器の類は無い。私は間一髪の所でそれを避ける。
 剣の軌道は極めて不規則で、動きの予測は不可能。繰り出される一瞬の殺意の流れを読むと
いう離れ業だが、反応出来ても身体が完全には追いつかない為、髪の毛一本程とも思えるギリ
ギリの回避行動。

「その腕、破滅を齎す災いの枝[レーヴァテイン]か」
「そうだ、だが此の魔剣とて所詮人の造りし紛い物、真理には程遠い」
 眼前を横切る刃をかわし、懐に潜り込み腹部に右手を翳す、一秒に満たない高速詠唱。燃え
盛る炎が幾重にも重なり、爆発し、渦を巻く。
 それでも宗一郎は止まらない。炎に焼かれながらも私の首を撥ねんと剣を振るう。
 体勢を崩しかけ、一歩後退する。その一歩は宗一郎にとって必殺の隙に見えたことだろう。
「終焉だ、火色綾! 貴様の血を持って真の魔剣と成す!」

 『魔術師同士の戦いとは力比べに非ず、常に相手の先を読み騙し、嵌める。優位を崩さなぬ
事、必定』

 これも昔本で読んだ一説だ。賢しい頭脳戦が苦手で、真っ平御免だと即座にそのページを焼
いた記憶がある。





 ──殺界[キルゾーン]





「何…だと!?」
「迂闊過ぎるよ、宗一郎。確かに私は結界や呪詛が苦手だが魔術は使いようでね、まどろっこ
しい探知や隠蔽だけじゃなく、結界ってのは殺す為の結界でも良い訳だ」
 私を取り巻く球状の障壁。範囲は術者を中心に半径一メートル。決して広くは無いが、狭い
が故にその力は絶対。踏み入った者を焦熱により消し去る、殺陣結界。

「くっ…あ…がっ…」
「流石だよ、あの間合いなら灰も残らない筈なのに」
 目の前に横たわる男は右肩から左の腰にかけてばっさりと半身を失っていた。焼き切られた
という表現は正しくない。殺界の中で半身は完全に消滅していた。
「私が…見込んだだけのことはある。貴様こそ真の魔術師…だ」
「何度でも言う。真の魔術師だとか真理だとか、そんなもんに興味は無い」
「不不…そう言うと思っていた。だが、私は既に望みを果たした」

 !?

 突如右肩に激痛が走る。
「失った我が半身はその役目を全うした…その竜は貴様にこそ相応しい」
 右腕に刻まれた漆黒の刻印。召喚士が我が身を依り代とする際に必要とされる刺青。

「さらばだ…火色綾。貴様と過ごした日々は…中々…に、悪くは無かっ…た」





    ──────────────────。














 ライブラリから更に離れた山の中腹。
 私は友の亡骸に火を付ける。
 神様だとかそんなもんは信じちゃ居ないが、今は祈ろうか。数少ない友人は天国へ、クソッ
たれの悪友は地獄へ逝くようにと。
 黒い煙が、漆黒の夜空へ立ち昇る。



 人は言う。
 死は無であると。
 果たして本当にそうだろうか?
 死が無を生むのではなく、無というシステムの中に死という概念が存在するのではないか。

 まぁどちらにせよ同じことだ。
 無も死も、何も生み出すことは出来ない。

 それは詰まらない事だ。



「お前もそうは思わないか?」

 虚空に呟く。

 頬を水滴が伝う。次第に勢いを増し、止め処なく流れていく。
 見上げた空から、雨が降る。








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