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#2 大掃除奮闘記 ──1998.12.31 新年を間近に控えた今日、僕は仕事場兼仮住まいの火色異能研究事務所、通称『火研』にて 一人、大掃除に勤しんでいる。 新年を迎える前に何としても掃除しておこうと思い、ここで暮らす同居人たちに今日は掃除 をしようと声をかけていたハズなのだが、 「アハハ、何で誰も来ないんだ?」 ここの所長である火色綾ことカジキさんは全く掃除をしない。どんなに汚かろうが埃まみれ だろうがお構いなし。挙句「ちょっと汚いくらいが耐性や免疫がついて返って良い」と仰りや がります。 この惨状を『ちょっと汚い』程度に見えてしまう素晴らしくズレた感性は、美人の類に入る だろう容姿を持ち合わせていながら、三十路を迎えて未だ浮いた話を聞かない原因なのだろう。 同僚であり同居人でもある詩崎夜は肝心な時にフラフラと出歩く都合の良い悪癖のせいで、 必要な時に居たことがない。援軍も期待出来ず、結局俺が一人でやるハメになる、というかな っている。 火研にある物は書類や本といった資料関係がほとんどだ。俺がここで働くことになるまでは 本当に資料以外の無駄なモノが一切無く、全くと言っていいほど生活感を感じられなかった。 俺たちのようなごく普通の感性を持つ人間には、生きていく上で『必要な無駄』も少なから ずある。だから知らぬ間に私物が増えていたりするのだが。 例えばほら、あのソファの上に堂々と鎮座してる気味の悪いぬいぐるみ。名前はジョン。テ ディベアのように見えるが、所々繊維が抜け落ち、間接のつなぎ目から綿が出掛かっていて、 可愛いクマさんとは縁遠い粗悪な一品である。因みにあれは詩崎の愛玩物、大変よろしい趣味 だことで。 「とりあえずこの床に散乱した書類と、乱雑に積み上げられた本を何とかするか…」 無残に踏み散らかされた依頼主や標的の情報が書かれたデータ関係から、近所のスーパーの チラシまで種類は実に様々だ。 というか個人情報に関わるようなモンは用が済んだらキチント処分しないとマズイだろうに …。いつ情報漏洩で訴えられてもおかしくない。 「可及的速やかな対処を施す必要があるが…信じられない事にシュレッダーが無い…何という ずさんすぎる管理体制なんだ…! まぁシュレッダーはあとで買いに行くとして、処分すべき 書類はまとめておくとしよう」 ・ ・ ・ 凄まじい量の膨大な紙と本を整理し終わる頃には、すっかり日が沈んでいた。 「あああああ! 全然作業が進まない…! 詩崎もカジキさんも一体何処で何やってるんだ …」 せめて上辺だけでも一年分の埃を掃わねばなるまい。いや、きっと一年どころのレベルじゃ ないと思うが。 ──掃除機が無い…。 雑巾で床を水拭き。大したことをしている訳でもないのに見違えるほど綺麗になっていく。 否、ちょっと拭いた程度で綺麗に見えるほどに汚染が進んでいるのである。事務所に蔓延した バイオハザードの除去には、もはや核による完全滅菌以外に道は無さそう。 なんというか、こんな危険な空間で暮らし続けている自分の今の健康状態を疑いたくなるな、 切実に。 身を削る思いで床を駆ける。丁度出入り口のドアの前まで来たところで突然頭上を星が舞う。 勿論比喩である。 「何やってんだ、九条」 いつもの豪勇さで以って瀕死のドアを蹴破りカジキさんが帰ってきたのだが、間が悪いとい いますか、蹴破られたドアが顔面を直撃。床で痙攣したように身悶える。 愉快そうな顔でカジキさんは俺を見下ろし、くっくっくっと笑いを堪えながら自分のデスク に荷物を降ろし腰掛けた。 「カジキさん酷いじゃないですか、今日は掃除をしたいから手伝って下さいって言っておいた でしょう」 「掃除なんてしなくていいんだよ。なまじ綺麗に保とうとするから人は弱くなる。修行の一環 だと思えば何のことはない」 「そういうレベルをとっくに超えてますよ! 寝てる間に体中の穴という穴からキノコが生え たりカビがふいたりしたら如何するんです!?」 「そのときは私が浄化してやるよ。いや、『浄火』というべきかな」 「俺より先に燃やすモノがあるでしょう、このゴミとかゴミとかゴミとかゴミとか」 あーもうウルサイなぁ、と耳に小指を突っ込んで足組み。もう本当に全くカケラもやる気が 無いようです。 「ま、そうだな。燃やすくらいならやってもいい、最近ご無沙汰だしな」 「やっとやる気になってくれましたか…ただ、ボヤには注意してくださいよ。カジキさんがア レを使うときは十分に注意してくれないと、ボヤどころじゃ済まないですからね。前科ありま すし」 ・ ・ ・ 「さて、景気良く燃やしますか。久しぶりだからなぁ、上手く出来るかな」 「しつこいようですがお願いですから加減して下さいね」 お世辞にも広いとは言えない裏庭に事務所から運び出した焼却処分決定済みのゴミたち。積 み上げると二メートル近くの山を築いた。ハンパない量だ。 カジキさんは腕まくりして深呼吸、俺は防火シートに身を包み、身の保全を図る。 やる気満々のカジキさんは非常に危険だ。何というか、やる気のベクトルが間違っている気 がする。掃除というより燃やしたいだけ、みたいな…。何でもいいけど安全第一でお願いしま す。 カジキさんはゴミの山を見つめ、おもむろに手をかざす。 次の瞬間、轟! と音を立ててゴミの山が燃え盛り、紅蓮の炎が渦を巻く。ほんの一瞬の出 来事、発火時の眩しさに一度瞬きしたら燃えていたっていうくらい。コンマ一秒の世界だ。 炎は次第に勢いを増していき、外炎部分が徐々に白熱化していく。 何を想っているのだろう、カジキさんはその様子を険しい表情で見つめている。 渦巻く白光の炎の流れから脱するように一筋の炎が爆ぜる。そこから現れたのは、 ── 炎の身体で出来た竜は猛り狂い、冬空に火の粉を散らし、轟と叫ぶ。 その力強さに、その威厳に気圧され、俺は立ち竦んだ。防火シートが無ければ今頃俺も消し 炭になっていたかもしれない。 っていうかね、 「やりすぎ!! やりすぎですよカジキさん!! もういいですから火を消して下さい!!」 満足そうに自身の力を眺めていたカジキさんが、俺の声に気付いて火を鎮める。ありゃヤバ いな。放っておいたら一晩で此処ら一帯焼け野原だ。 恐ろしい。消し炭どころか塵一つ残っちゃいない。綺麗サッパリ姿を消したゴミの山。庭に 生えていた草木は全滅、いたる所からプスプスと煙吹いてますよ。加えて言えば俺の前髪が若 干コゲ臭い。 「久々に出してみたけど、やっぱ気持ちいいね! 定期的にやらないとナマってしまうしな」 「程度を弁えて下さい…ああ、前髪がパンチパーマみたいに…」 ブハッ、と俺の顔を見て大爆笑、面白くない。 室内に戻ると、今度は詩崎が瀕死のドアを蹴破って騒々しく帰宅。 「ちょ…ちょっと! 今庭からすんごい火昇ってたんだけど! って九条、なに…その、前が …ぶははははははは!」 ああ、面白くない、面白くない! 一生懸命掃除をしたのにこの仕打ち。ふん、笑いたけれ ば笑えばいい、くそぅ…。 事務所は二人の笑い声で満たされていた。笑いの種が俺でなければ、楽しいって思えたんだ ろうけど。 でもまぁ、今日くらいは── 良いか。 時刻は午後十一時五十五分。この嘲笑が許されるのは残り五分ですがね。 gallery TOP |