#1 屍喰い


 深淵。深い闇と瘴気が辺りを包み、遥か上空の星すら陰って見える。
 何でまたこんな所に俺がいるのかと言えば、火研に『便利屋』としての依頼が来たからに他
ならない。こういった面倒な雑務の依頼を受けるとき、カジキさんは決まって『はい、喜んで
お受けいたします、うちの九条鴇久が』と最後に俺の名を付け足す。言うまでもないが逆らう
ことなど許されない
 依頼というのは墓守。二、三日遠出するのでその間だけ代わりを務めて欲しいというものだ。
仕事を引き継ぐ際に対面したが、なんというか物凄くヨボヨボ且つ虚弱な感じで、いつのまに
かポックリ逝くかもしれないような、そんな危機感を感じずにはいられなかった。
 他人の墓を守るより自分の墓を用意しておいたほうがいいんじゃないかと思ったが、 あの
ジジイ既に用意してやがった…!

『エディ・神里、ここに眠る』

 誰? いや、ここの墓守ですけど。

 夜の墓地ほど気味の悪いものは恐らくそう無い。無数の遺体が眠っているという意識がその
恐怖心を更に煽る。突然地面から手が突き出てきたり棺桶から遺体が這い出てきたり、なんて
いうB級ホラーの定番シチュエーション。
「しっかし暇だな…この墓地にある墓石全部磨いたろか」
 雑巾とバケツを握り締め、瘴気立ち込める墓地内を歩く。さながら映画の主人公にでもなっ
た気分だ。
 そもそもこのご時勢に墓守など必要なのだろうか。暴いたところで金銀財宝が出てくるわけ
でもなし、見ず知らずの人間の遺骨なんぞ何の価値も無いだろう。
 加えて言えば、こんな恐ろしい場所に踏み入る勇気ある人間ならそのエネルギーをもっと他
方面へ向けるべきである。

 ──グシャリ。

 気味の悪い、土を掻くような音が聞こえた。本当に小さな音で、これほど静寂でなければ気
にもならないであろう程度の小さな音。グシャ、グシャリと音は止むことなく次第に勢いを増
す。
 まさか本当に墓を暴きにくるような奴がいるというのか? いや、野犬とか動物の可能性だ
ってある。まだ人間と決め付けるのは早計だ。
 音のする方へと気配を殺して、出来る限り音を立てずに近づく。一歩、また一歩。
 ふと音の変化に気付く。バキッ、バキッという鈍い音が聞こえる。状況を考えれば想像に容
易い。
 墓石を砕いているのかもしれない。その手の盗みが目的なら納得することもできる。最悪、
悪趣味なやつが掘り返した遺骨を砕いている音だったりするかもしれない。
 だが、ようやく視界に映ったそれは、俺の貧困な想像なんかよりも遥かにブッ飛んだ光景だ
った。
 がつがつ、と凄まじい勢いで貪っている。美味いか?それ。

 大よそ一般的なサイズの人間より一回り大きい躯体。異常に肥大した両腕、三又に分かれた
鋭い爪。身体の全部に後付されたように見える頭部、鋭い歯を無数に覗かせ、唾液を滴らせる。
その顔に目と思われるものは無い。
 そして何よりおかしいのは、異形のそれには下半身がない。故に異形。
 上半身だけで這うように移動したのだろう、引き摺ったような跡が見える。

 端的に表現すれば、まさにバケモノってやつだ。
 こちらに気付いているのかいないのか、それとも全く興味がないのか、掘り起こした遺骨を
無我夢中で喰っている。
 どうする。というか俺に何が出来る? 小屋のスコップで脳天を叩き割るか? しかしあの
マッチョな豪腕はどうみても攻撃するように発達したとしか思えない形だ。生命の危機を感じ
ればキチント反撃してくるだろうことは容易に予測できるし、殴ったところで惨めにへしゃげ
たスコップが一本出来上がるだけだろう。
 音が止む。
 どうやら食事を終えたらしい。気味悪い頭はキョロキョロとあたりを見回し、俺の方を向い
て動きを止めた。
 完全なる弱肉強食の摂理。
 喰われる、そんな言葉を俺の脳は瞬時に導き出した。
 戦うとかそういうレベルの話じゃない。戦う前から己の死しか視えない。そういう暗示のよ
うな威圧感。
 
 そいつは俺には興味ナシという素振りで元来た道を戻っていった。食事の邪魔が入ったとで
も思ったのだろう。
 追いかけることはしない。いや、出来なかった。





「化け物?」
 あからさまに胡散臭そうな顔で俺を見る三十路クールビューティー。
「そうですよ! 昨日受けた墓守の依頼で、敷地の見回りをしていたら化け物がいて、遺骨を
掘り返して、あろうことかそれを喰ってやがったんですよ!」
「腹減ってたんだろそいつも、そっとしておいてやれよ」
「いくら腹が減ってたって人間の骨を食ったりする人間はいません! それに上半身こそかろ
うじてヒトの形をしていたけども、どう見てもあれは人間じゃない、下半身無かったし」
 俺の精一杯の力説を面倒くさそうにデスクに肩肘つきながら右から左状態だったカジキさん
の表情が僅かに陰る。

 俺は確かに見た。上半身だけで這う異形を。上半身だけとはいってもその躯体は大きく、一
般的な成人男性を越えるくらいの大きさはあった。
 カジキさんは何やら真剣な面持ちで口を開いた。
「九条、お前その依頼は今日で打ち切り」
「え…? 何か心当たりあるんですか?」
「九条の話を鵜呑みにするわけじゃないが、そいつが本当だとすればちと厄介だな。それは恐
らく『屍喰い』だ。死んだ遺体や遺骨だけを喰らい生き永らえる。決して生きたモノを喰らう
ことはないという変態嗜好のバケモノさ」
 死んだ人間や、遺骨のみを糧とする異形の生物。恐ろしい話だが、生物を襲わないというの
も珍しいパターンだな。別に俺個人としては、こちらに被害が及ばないなら遺体や遺骨なんぞ
いくら喰い散らかされようとあまり関心がないので好きにやってくれて結構だ。
 俺が守りたいのは世界平和じゃない。そんなもんよりずっとちっぽけな自分の命と、その周
囲の平穏、極々狭い世界だ。
「そう聞くと実害は無いように思うだろうが、そういうわけにもいかない。人間過剰に食い過
ぎれば嘔吐したりするように奴も食い過ぎれば吐き出すのさ、『死』をな。死の因子に触れた
生物は当たり前だが必ず死ぬ。判りやすく言えば、致死性の毒ガスを常にバラ撒きながら街中
を闊歩するってことさ」
 絶句。まさかあれがそんな物騒な代物だとは思いもしなかった、なんて思うハズはない。あ
んな形してりゃそれくらいヤバい要素はあって然るべしだ。
「明日はお前に代わって私が墓守をしよう、異論は認めない。いいね?」

 そう言ってカジキさんは黒のロングコートを羽織り、事務所を出て行った。





「へぇ、此処かい。バケモノ霊園は」
 文字通り一寸先が闇の墓地の入り口に立ち、辺りを見回す。まぁ当たり前だけど墓石しか無
い。
 だが、確かに感じる明らかな異質の気配。
 どうやら今日は向こうさんの方が早かったみたいだ。まぁレディを待たせるのは紳士とは言
えないからね、そこは褒めてやるか。
 敷地内の中ほどで標的を見つけた。なるほど、確かに九条の言った通りの風貌でバケモン以
外の何物でもないな。だがこいつは──

 懐中電灯の明かりでかろうじて視界を保てるくらいに闇は深い。大きめのこの懐中電灯です
らバケモノの全容を照らすことは出来ない。
 懐中電灯を放り投げ、心を鎮め自らの右手を虚空にかざす。その刹那、

 轟──!!

 自らの右手から放たれた炎が墓地の敷地を囲うように広がって円を描き、闇を裂いて周囲を
照らし出す。
「熱心にお食事中のところ悪いんだけど、オマエみたいなのにウロウロされるとこっちも色々
困るんでサクッとくたばって貰うよ」
 返事は無い。というよりもとより興味が無いので話すら聞いちゃいないだろう。となれば選
択肢は一つ、コイツを消し炭に変えるだけのこと。危険度二百パーセント、野放しにしておく
のは百害有って一利無し。

 頭上にかざした右手を屍喰いに向けて振り下ろす。
 渦巻いていた炎が無数の矢となって屍喰いに降り注ぐ。大量の炎の矢は屍喰いの身体に突き
刺さり、爆ぜ、燃え盛る。響くは悲痛に猛る異形の咆哮。
 間髪入れずに次手を打つ。
 真っ直ぐ標的に向けられた掌から放たれる白い光の帯。圧縮された超高熱が巨体を射抜く。
 溶ける、というより気化していると言うべきだろうか。全身焼け爛れ、胴にぽっかりと穴が
開いている。だがそれでも未だ生きている。
 溶け出した表皮を飛び散らせ、焦げ付いた死臭を漂わせながらこちらを睨む盲目。
「チッ…寝覚め悪いモン見せやがって、暫く三食肉抜き決定」
 アレはもう生きているとは言わない。貪欲な喰への欲求だけがその屍体を動かしている。か
つて人間だったろうソレは、もうカケラほどの理性も持ち合わせてはいない、生ける屍。
 向かい来る屍。ただ食事をしていたときには無かった明らかな殺意。メシの邪魔をされたの
が相当に嫌だったらしいとみた。
「まったく、どこで間違ったんだろうなお前は。危機的状況や興味本位にしたって、食べてい
い物と悪い物の区別くらいつくだろうに。正常な精神状態の人間なら肉や臓物を見ただけで嘔
吐や眩暈を催す。だがそれは必要なことで精神を守る為の防御措置。それが機能しなかったせ
いでこんなバケモノに成り下がった訳だ。お前の場合は同情に値しない。逃避の先に見出した
答えがその姿なんだからな。死して然るべし、だ」
 耳をつんざく咆哮と共に肥大した腕を振り上げ、体型に似つかわしくない驚くほど俊敏な動
きで飛び掛ってくる。
 刹那的とも言える驚異的スピード。常人ならば気が付く前に首を取られているだろう。だが、
そいつが相手にしているのは常人に非ず。火炎の龍を従えし灼熱の魔術師。

 どれだけ敵が速かろうと関係なかった。火色綾[わたし]の約半径一メートル以内は灼熱の
結界。陣を張っている限りは何人たりとも踏み入ること叶わぬ殺界[キルゾーン]

 巨大な爪が降りかからんとするまで幾分もない距離まで詰めたところで勝負はついた。
 壁がある訳でもないのにエモノが触れる直前、その巨腕はまるでドライアイスのように煙を
吹かし、蒸発する。異常なる速さ故に勢いは留まることはなく、屍喰いは吸い込まれるように
跡形も無く消えた。

「ご愁傷様」







「それで、屍喰いは退治出来たんですね?」
「当たり前だ。私に限って獲物を前に殺り逃すような事はしない」
 カジキさんは夜明け前頃、顔に寝不足の三文字を貼り付けて事務所に戻ってきた。屍喰いは
無事殲滅したとのことで、ようやく俺も安心して寝付ける。
「ただ、この事案はちょいと気がかりな事もあったからきちんと記録として残しておきたい。
記録は私が行うからお前はさっさと休め」
 その目は、穏やかでありながらはっきりとした拒絶の色を示していた。訊くな、関わるなと。
 理由は判らない。でもカジキさんは教えないと決めたら絶対に教えない、そういう人だ。だ
からきっと俺が知る必要のない情報。そう言い聞かせ、納得するしかなかった。

「ったく…九条は面倒を呼び寄せるスペシャリストだな」




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