#1 とある義眼のお話


「嗚呼、冬って何でこんなに寒いんだろう」
 冬の夜空に寂れた事務所から見る星たちの眩しさといったら…。すっごく綺麗。っていう
か綺麗すぎ! 無駄に綺麗すぎて泣けてくる。
 目下の私の希望の光と言えば、眼前に広がる鍋模様。やはり冬と言えば鍋!石狩鍋!キムチ
鍋!すきやき!いえす!
「そんな豪華なモン用意出来るほど暖まった懐事情じゃない。目を逸らすな、この現実から」
 蓋を開け、中を見ろとばかりに鍋を寄せてくる。
 今宵の鍋奉行は私と同じこの事務所で働く同業者。黒のタートルネックにジーンズというラ
フな格好で鍋と格闘中の九条鴇久だ。
 促されるまま鍋を覗き込むと、そこに広がるは一面の──
「白…菜?」
「白菜だ。いいだろ?詩崎は白菜嫌いか?嫌いだったら残念ながら今夜は飯抜きになる」
 この寒空の下、浮いた話も面白いこともなく、あるのは白菜鍋…のみ…。というか本当に白
菜しか入ってないよこの鍋…九条さん大丈夫? 正気?
「仕方ないだろ、俺だって何も好き好んで白菜鍋なんか作った訳じゃない。この間の仕事の時
にカジキさんが必要だからって言って、銃刀法違反なアレやコレを買い漁ったせいで事務所の
経費はおろか、俺達の財布にまで魔手が及んだんだ…妄想を膨らませてる暇があるなら詩崎も
手伝えよ」
 カジキさんとは海洋生物のことではなく、この事務所の所長であり、この店の店長である火 色綾のことだ。
 カジキは本当に恐ろしい女で、私と九条がつけた俗称は鬼女。黙っていれば綺麗なお姉さん、
クールビューティー(今年で三十路突入)。口を開けば毒蛇の舌、地獄の閻魔、焦熱に巣くう
悪鬼。仕事となれば相手が人間だろうが悪魔だろうが、果ては恐らく神だろうが容赦はしない。
そういうお人です。
 そんな鬼女が所長を務める『火色異能研究事務所』、通称『火研』は、壁紙の張替えから掃
除洗濯、ペットの散歩にトイレの世話等など日常のあらゆる雑務を始めとして、様々な事柄を
扱う便利屋のような所である。
 そういった面倒な雑務は主に九条の役目で、大抵は、というか全て九条に押し付けている。
無論逆らうことなど許されない。
 その裏で細々と行われているのが魔法の売買。この事務所が店と呼ばれる所以。
「おっ、今日は鍋かい?いいねいいねぇ」

 ドカッ! と豪快にドアを蹴破り、鬼女ことカジキが帰ってきた。あのドアの苦痛と寿命を
考えると、モノであれど同情を禁じ得ないわ。
「あ、おかえりなさいカジキさん。首尾よく事は運びそうですか?」
「無事解決したよ。警察の連中と仕事するのは気に食わないけど、奴ら金の羽振りだけはいい
からな」
 カジキは事務所の奥にあるマイデスクに荷物を降ろして椅子にふんぞりかえる。デスクの前
には『室内禁煙、喫煙した者には死の制裁を』と垂れ幕。
「カジキ、そのデカイ紙袋は?」
「ん、ああこれか。聞いて驚け、肉だ。それも天下の松坂牛だ」
 ま、つ、ざ、か、ぎゅううううう!? と叫び、私と九条はカッと両目を見開く。
 嗚呼、何故だろう。何故だか今日はカジキが天使のように見える…白菜鍋というこの危機的
状況に福音をもたらす女神。鬼女だなんて呼んでゴメンナサイ。私は今日までの自分を悔い改
めます。
「で、でも一体そんな超高級食材どうやって手に入れたんです? まさかもう報酬の金使い
込んだんですか…!?」
 九条が血走った目でカジキににじり寄る。勿論デッドラインを越えない程度に、控えめに。
「違うよ、これは頂きモノだ。今回仕事を共にした刑事に新顔がいてさ、キジマとか言ったか
な? 律儀なことに御心付けってやつを頂いた訳さ。ああいう奴は嫌いじゃない」
「まぁまぁまぁまぁ、早いトコその松坂牛で楽しい楽しい鍋パーティーと洒落込もうよ!」
 瞬間、カジキの眉間にシワが寄る。
「残念だがお前たちの分は無い、これ一人分なんだ」
 期待に膨らんだ胸をドリルで貫かれ、瓦解していく松坂ドリーム。やはり鬼は鬼だ。死んで
輪廻転生したって鬼にしか成り得ないんだ。
 どうやら松坂ドリームを見ていたのは私だけじゃなかったらしく、隣で両膝ついて俯く男も
また私と同じ心境で、同じ思考に至ったのだろう。

「何となくそんな気はしていましたけどね…まぁ松坂牛の話は置いといて、今回の件について
の話を聞かせて下さいよ」
「そうだな。まぁ整理する意味も込めて事の発端から話すとしよう」






 四日前の朝、知り合いからの依頼でとある義眼職人に届け物を頼まれた。
 それでそいつが経営してる店を訪ねたんだが、古めかしい店舗で『いかにも』ってな感じだ
ったよ。
 訪ねる前に連絡を入れたし、きちんと時間通りに行ったにも関わらず店はクローズ状態で、
呼び鈴鳴らしてもウンともスンとも言いやしない。不審に思い無理矢理ドアを蹴破って店に入
った。念を押すが本当に不本意に、だぞ?
 踏み込むと、嗅ぎ慣れた異臭が鼻を衝いた。ストレートに言えば死臭ってやつだ。
 奥の作業室に向かって引き摺るようにして付けられた血痕を辿り、またまた不本意だがドア
を蹴破った。
 中に居たのは私のお目当ての義眼職人、リビド・アルマーク氏その人だった。
 両目をくり抜かれ、腹が掻っ捌かれて臓物を垂らした、変わり果てた姿だったけどね。目ン
玉がくり抜かれていて、近くのテーブルの下に転がっていた。

 遺体そのものに異常は無く、問題だったのは転がり落ちていた目玉の方だった。

 検死官からの報告によれば、アルマーク氏は六年ほど前に事故で全盲し、その時から右目だ
け義眼だったようだ。
 アルマーク氏を知る人の話では、彼は全盲したにも関わらず杖も無く普通に街を歩いていた
らしい、まるで健常者の様にな。
 義眼ってのは所詮見せかけだけの玩具に過ぎん。つけたからって視力が戻るような代物じゃ
あないし、今の現代科学ではそのような発明は成されていない。どうやったって義眼で視力が
戻るハズはない。

 では何故か?

 それを知るために私は警察まで出向いて『ある物』を見に行った。察しがつくだろうが、
そのある物ってのは無論、アルマーク氏の使用していた義眼だ。
 署内の最も厳重な保管庫に案内され、実物を目の前にして久々に怖気ってモンを感じたよ。

 『魔眼』ってやつだ、聞いたことくらいはあるだろ?私も現物を見るのは初めてだった
けどね。
 この魔眼は『義眼だけど生きている』、ただの玩具じゃない。仕組みは判らんが何らかの力
が働いて視力が回復する事もあるだろう。

 キジマの話によれば、ブツを保管庫まで移送した鑑識官は発狂し、銃を奪い同僚に向けて発
砲。警官が屋上まで追い詰めた所で、屋上から飛び降り転落、死亡したそうだ。
 私が呼ばれたってことは、恐らくそうして魔眼の毒気にやられて発狂した人間は一人や
二人じゃないハズ。科学的理由が見当たらずお手上げってトコだろう。ま、向こうにしてみれ
ば理由だの何だのはどうでもよくて、面倒なモンを撤去してくれればそれでいいのだろうが。
 その魔眼には『怨恨』、『憎悪』、『殺意』、『罪悪』とかそういった人間の悪意にあたる
負の感情が込められていた。この街に辿り着くまで、幾年もかけて集めたであろう何百、何千、
何万という悪意がね。とてもじゃないけど私一人でどうにか出来るような代物じゃない。
破壊することも、浄化することも不可能だ。

 私の見解では、アルマーク氏は恐らく自殺。
 自殺した御役人たちと同じように義眼の毒気にやられて発狂し、衝動的な殺意に駆られたが、
完全に侵される前に自ら腹を裂き、生身だった左目と右目にはめ込まれていた魔眼をくり抜い
た。

 人間の憎悪ってのは恐ろしいものさ。いとも簡単に人を狂わせ、壊す。

 アルマーク氏はとても善良な人間で、他人に危害を及ぼすようなことはしないと氏を知る人
達は口を揃えて言う。
 氏は内から湧き上がる全く身に覚えの無い衝動的な負の感情に苛まれ、限界を迎えたと悟っ
たとき、自らの命を絶つことで周りへの被害を食い止めたんだろう。強い人だよ、リビド・ア
ルマークって男は。

 以上が、今回の件の概要だ。






 人の悪なる感情を宿した魔眼。それが引き起こした一つの事件の顛末をカジキは事細かに私
達に説明した。
「で、結局その魔眼はどうしたのさ、まさか警察署に置きっぱなしって事はないでしょ?」
「ああ、勿論。ブツは重要な研究資料として回収させて貰った。ほれ、この中に」
 そういってカジキは紙袋の中から四角い箱を取り出して見せる。しかしそれが随分とフザけ
た箱で、ポップな絵柄にメリークリスマスと書いて…って
「カジキさんそれこの間食べたケーキの箱じゃないですか…!そんな危なっかしいモンをそん
なチャチな箱で保管してていいんですか!? いや、良いハズがない…!」
 私が叫びだすより早く横の男は既に阿鼻叫喚。無理もない。今の今まで超危険、危険度マッ
クスな代物だと説明されたものが目の前にあり、それが昨日までゴミ箱に入っていたハズの
ケーキの箱に保管されているというのだから…。
「だああ、判ったから騒ぐな! すぐに別のものに移し変えて保管する。だが間違っても素手
で触るなよ?ホイホイ触っちまうような馬鹿本人だけがくたばってくれるなら僥倖だが、その
バカが発狂して面倒を起こすのは勘弁ならん。いいな、くれぐれも、触らないように」
 そう言い残して鬼女は、魔眼が入ったケーキ箱片手に、笑顔で物置部屋に消えていった。

「何だかとんでもないモノが転がり込んできたね」
「そうだな、まぁ触らない限りは僕たちには関係ないよ。カジキさんの研究材料としてその役
目を全うするさ」
 話を聞いていたらいつのまにか二時間近く経っていた。小腹も空くはずだ。
 だけど在るのは白菜鍋、ひもじいことこの上ない。でも背に腹は代えられないって言うしね。
「ねぇ九条、今のうちにあの松坂牛…」
「やめておけ、俺はまだ死にたくない。文句言わずに白菜を食べるんだ」

 ぶー。あ、でもこの白菜鍋、ちょっと美味しいかも。



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