#0 プロローグ-


「ほらほら、店を開けるよ! いつまでもグダッてないで準備しな」
 恵方巻の海苔の如く丸まっていた毛布をグルンと剥ぎ取られ、俺は盛大に後頭部から床に落
下した。
 時計に目をやると時刻は午前十時。まずい、いつもは八時半には目覚めている筈が今日に限
ってどえらいお寝坊さんだ。我ながららしくない。
「すいませんカジキさん、すぐ顔洗って支度手伝います」
「まぁ昨日は遅くまでヤボ用を手伝わせてしまったからな、今日の所は大目にみといてやる。
さて、それよりも次だ」
 カジキさんはそう言って俺が寝ていた向かい側のソファーで泥のように眠りこける少女の前
で腕を組み仁王立ち。例によってその少女、詩崎夜も見事なまでに恵方巻状態だ。
 少女の結末は火を見るよりも明らかな後頭部強打エンド。
「くぉら! 起きやがれッ!」
 豪快に海苔を、いや毛布の端を掴んで大車輪。床に転げ落ち悲痛に悶える詩崎の断末魔が─
─ ってあれ?」
 なんという奇跡。詩崎は毛布の反対側の端に喰らい付いたまま離れず、間一髪で落下を免れ
ていた。信じれられん。
「なんつー馬鹿力…こんなほっそい身体のどこにこんな力が? ええい、ままよ!」
 俺は両手で顔を覆い隠す。見る間に露わになる透き通るような白い肌、華奢だがバランスの
とれた体のライン。いや、決して俺は見ていない。絶対見てないからな!
 何が起こっているかと言えば、カジキさんが詩崎の衣服を剥ぎ取っている。なんたる暴挙!
 だがそれでも詩崎は目覚めない。俺など比較にも値しない恐ろしいほどのお寝坊さんだ。更
に言えば、詩崎が昨日眠りについた時刻は午後十時、実にフルタイムで十二時間睡眠。
 カジキさんは未だ夢の世界を旅する詩崎を半裸で事務所から廊下に叩き出した。勿論下着姿
のままで、だ。
 床やデスク、四方八方に散乱するスカートやら靴下やら。なんかもう酷い。
 このままという訳にもいかないだろう。渋々俺は詩崎の衣類を拾い上げ回収する。そして地
獄を見るまでものの数秒。

「ざ、ざぶっ…! なんでわらひ廊下でねひぇんの?」

 嗚呼、今度は弁明のしようもないほどバッチリ俺の視界に移る天使の肢体。
「あ、あれ? 服は?」
 そういって見つめる無垢な瞳の先には自分が着ていた筈の服を両手に抱える男の姿。無論俺
のことだ。
「な…なああああああ!? んでお前が私の服持ってるワケ!? っていうか何で私半裸…ぎ
ゃああああああ!!」
 凄まじい咆哮と共に手近な丸い物体を俺に投げつけてくる。豪速球のストレートボールを間
一髪でキャッチ。
 ぐにゅっ。
 俺の手に握られているのは饅頭。否、饅頭の残骸だった。うわぁ勿体無い。
 再び眼前に迫る豪速球ならぬ豪速饅頭。再びキャッチを試みようと構えるが、目前でふと饅
頭が姿を消す。状況を理解するよりも早く、急所から伝わってくる激痛。

「フォーク…ボール…」

「どうでもいいから遊んでないでさっさと仕事を始めろボンクラ共」







 火色異能研究事務所、通称『火研』。
 比較的都会化の進んだ日野上市の端っこ。あまり日当たりの良くない場所に構えたこの事務
所はわたくし、九条鴇久の勤務先兼仮住まい。ここには俺の他に所長のカジキさん、俺と身分
を同じくする詩崎夜の三人が同居している。
 一年ほど前に田舎から上京してきたが、自分には縁遠いものだと思っていた就職難の余波を
思い切り食らった末、路頭に迷う寸前でここを見つけた。本当にラッキーだったとしか言いよ
うがない。
 ここでの仕事の内容はといえば、専ら雑用。電話応対にて様々な雑務を引き受ける便利屋家
業。役割、というよりも、所長である火色綾がやりたくない面倒事の大半を担う。今でこそ人
間の順応性の高さを示すかのごとく業務をこなしてはいるが、始めた当初は酷いものだった。
 そうした便利屋家業のウラで、もう一つの業務がある。

 "魔法売ります"

 うん、凄く胡散臭いですね。始め聞いた時は俺も信じられなかったし。
 でも俺自身は魔法というものにそれほど疑問を抱かなかった。そうした経験に身に覚えがあ
ったから。
 だが、『魔法なんて在るわけない』。これが世間一般の認識であり、情報化した社会におけ
る魔法の正しい認識である。
 故に客などそうそう訪れるハズもなく、大抵は暇している。どこで宣伝しているのかは知ら
ないが便利屋のほうはガンガン依頼が来るんですけどね。
 怒涛の朝を迎えてから既に昼食を終え、昼も終わりに差し掛かろうとしているが、今日は凄
く暇だ。
 依頼がないときは基本的に何しててもオーケーだが、依頼が無いければ当たり前だが収入も
無いわけで、収入が無ければ給料が出ない。つまり暇というのは由々しき事態なのである。
 突然に備え付け電話の発信音が静寂を破る。受話器を取ったのはカジキさん。

 暫くの後、わかりました、ではまた後ほど、はい、お待ちしております、と言って相手には
見えないであろうとても無駄な美しい笑顔を湛え受話器を戻した。
「喜べ諸君、一時間後に来客、魔法が欲しいそうだ」

「「ぎゃあ!」」

 読んで字の如く真後ろに卒倒する雑用二名。
「ちょっとタンマタンマ! まーたロクでもないのが来るんじゃないの…?」
 俺の心の声を代弁したのは詩崎。
「大丈夫さ、来たらちゃんと用途や目的を訊くし、商談が成立すれば結構な額になる」
 その用途ってやつを電話応対の時点で訊いておくべきじゃないのか。

 何はともあれ仕事が始まる。庶務係は事務所内の清掃とお茶菓子、コーヒーの準備をしなく
てはならない。
 俺と詩崎はバタバタと床に散乱した書類やらチラシやらを片付ける。カジキさんはマイデス
クで肩肘つきながらコーヒーブレイクを満喫中。

 カジキさんの目の色が変わり、口元が緩む。
「さて、お仕事だ。金の成る樹、じゃなかった。お客様を御持て成ししろ」
 ドアが開くと同時に重い腰を上げ、満面の笑みを湛えながら言う。

「いらっしゃいませぇ〜」
「「いらっしゃいませ…」」




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